役員の仕事ぶり

学会運営委員は、かく働く!

新しいもの、重みのあるものをここに出します。

記事の一覧は<語りぐさ>の下位項目に。

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謝罪要求への菅野委員の返答と實川による解説

菅野運営委員に公式の謝罪要求への返答が届きました。
たいへん難解な文章ですが、読み解くと、私・實川の求めた謝罪発言はありません。言葉のうえでの謝罪めいた表現と、立場を入れ替えての寛大 な赦しの表明により、問題がこれまでにも増して巧妙にすり替わっています。
約言すれば;
1 私のメーリングリストでの書き込みを歪めて公表した行為への謝罪はない。
2 問題を實川の心情への配慮にすり替え、この配慮の欠如は自からの正義感によると言い訳する。
3 悪いのは實川だが、自分は心を広くして赦すと表明。
4 訴えた「当事者」の意思、発言の存否を菅野さんだけが判断できるとの尊大な立場を維持しつつ、あたかも弱者のために命がけで行動したかの如くに言い募る。
5 実態では、「当事者」を追い詰めた藤本運営委員長(当時)と力を合わせ、彼を挟み撃ちにしていた。
6 「個人情報」を盾に、学会運営の情報を隠そうとしている。この情報は、学会の主権者たる会員のものなので、隠すのは特定秘密保護法と同じ「する側」の論理である。

詳しくは、次のファイルをご覧下さい。

實川様への御返答
菅野返答書への解説(改訂版)

*心理臨床の現場では、「精神障害当事者」がそれこそ存否を賭けた問いを投げ掛けてきます。受け止められなければ、流す他はない。受ける力も気構えもない人びとが、臨床家を名乗って職に留まるにはどうすればよいか? − 誤魔化しの技術を磨くことです。聞き流し、すり替え、知らん顔を決め込みつつ、人権を護る正義漢の仮面を被り続ける技術。これを身に付ければ「心の専門家」と言われるようです。

前運営委員/實川 幹朗

 

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鈴木・現「編集委員長」のホームページ整備懈怠について

鈴木宗夫運営委員は、ただいまの第21期、編集委員長の重職にあると言われています。
彼は長年にわたり、日本臨床心理学会の運営委員を務めてきました。
しかし、彼のこれまでの仕事ぶりを顧みますと、心許ないところが多すぎます。
『臨床心理学研究』はこれから、大丈夫なのでしょうか?!
次の報告をご覧下さい。

鈴木委員のHP整備の怠慢
 

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平成24年度 監査意見

⒈ 内田基金について

今期、内田基金返却が果たせなかった。この内田基金とは、内田・クレペリン検査用紙等に権益を持つ組織からの寄付で、かつてはもっと大きな金額であった。(滝野)

この基金を、できるだけ維持されるよう、返却可能な年度には、返却を行うことを申し合わされてきている。予算案(小濱原案)には、計上されていないが、検討を願いたい。

⒉ 印刷所変更による経費削減について

印刷代節減がなされた。また、印刷の質も向上している。編集委員を務めた立場から難を言えば、協和印刷工業とは、メールでの指示等への対応が遅れることが少なくなかった(渡邉)。総体的には、印刷所の変更は、高く評価できる。また、発送料も新たに印刷所への委託により節減できている。

3. 事務局業務について

昨年度、事務局を学生生協会事務支援センターに移転・委託し、事務局経費が節減できた。だが、事務局長の従事する様々なシャドウワーク的な労務については、支出費目を認められ難い。個別の領収書等が出にくい支出もあり得る。経費として、一定の枠を設けて、事務局長経費として供与することを検討課題とする。

⒋ 昨年度大会について

4-1) 大会の意義と運営方針について

大会は、会員を増やし、規模を拡大する契機としての意義を持つ。過去の大会運営については、反省点が多い。このたびの佐藤報告等について、今後とも、文書で蓄積し残していく必要があるだろう。日本心理臨床学会の場合は、ガイドライン等のマニュアル化が構築され、確実な申し送りがなされている。そのため、方式そのものは年々巧みなものとなっているが、前例を墨守して行われるので詰まらなくなってきていると聞く。マニュアル化することの弊害がある。その点では、本学会の現状はむしろよいと言えるかもしれない。(滝野)

4-2) 会場設定について望むこと

昨年の大会でいちばん残念だったのは、会場が大講義を前提としている教室で、椅子が固定であったこと。大会のあり方を見直すべきなら、いろいろな工夫・改善が不可欠。その一つとして取り入れようとしたのがOSTであったが、場面設定からして全く不可能であった。椅子を動かしたり、空間デザインができるように、会場の状況をしっかり考えて、大会会場を選んでほしい。場面設定は、心理臨床家の基本中の基本であるから、真剣にその諸条件に留意がなされた会場選択を行うことを提案する。(滝野)

4-3) 情報宣伝についての課題

プレセッションは、一つ一つの内容が魅力的だったので、あまり人が集まらなかったのが残念だった。大会の情報宣伝について課題がある。このままだと、組織がじり貧になってしまう。(滝野)

4-4) 参加者が少なかった原因

考えられるものに、日程(大阪マラソンとの重なり)、場所(市内中心部からは少し不便)、天候(2日目は雨天へ下り坂)、内容(実質として魅力的な内容であったか否か、催しの題目に本学会の特徴がよくもわるくも、顕れ出ていた。これが、既存会員には危惧を、外部の人には臆する感覚を齎したのではないか)、情宣の方法(HPもあったが、紙媒体に依存。手渡し等既存の人的交流に依存しての配布形態。)などが上げられる。

4-5) 参加者増加についての情報宣伝反省点を踏まえての提案

広報・情報宣伝についての工夫に有効な経費を費やすことが必要。郵送以外の方法も含めて考えてもらいたい。(滝野)

昨年度の大会広報を手伝った立場から。、様々な研究会等(有料も含む)に出向いて、責任者から時間を頂いて説明もし、手渡しで配る等もしたが、ほとんど効果はなかった。これまでより多く印刷し、多方面の機関にも大部纏めて配送して配ってもらった。経費をかけたが、まったくと言ってよいほどに効果がなかったと言える。これまでに試していないものとしてネット上での広報がある。HPを核とし、ソーシャルネットワークの活用等、経費がかからない方法を試す価値がある。(参考意見:實川参考人・戸田事務局長)

4-6) 本年秋の大連にての大会開催と今後の展望

中国での大会開催は、今後、中国から来た人が、日本の臨床心理学会の実態に出会ったときの対応までを、視野にいれるべきではないか。中国の人は、日本の臨床心理士のブランドが欲しい。それらの実情も踏まえないといけない。もちろん、国家資格化の問題も含む。(滝野)

4-7) 大会経費の赤字と懇親会の問題について

前回大会実行委員長佐藤さんの反省点として報告された赤字の大きなものは、懇親会費であった。懇親会では、人数の変更が効き難い。そのとき会計を担当(渡邉)しており苦慮した。懇親会場側には、人数の増減に融通が効きにくいことを踏まえ、今後、懇親会の赤字を減らす工夫が必要である(渡邉)。

また、懇親会の現況そのものの問題がある。初めて来る人からみると、仲間内でやっている印象になる。新しい人が来ても、ぽつんとなるのではないかと。新しい人が来てよかったと思えるような懇親会とするべき。単に人数の予測をミスしたと捉えるのではなく、この学会の人的交流に関しての問題として考え改善するべし。(滝野)

⒌ 運営委員多選制限について[4-7)との関連意見]

多選制限は、議論の余地が大いにある。新しい人が積極的に運営に参画できるように、新しい人たちの入会が促進されるような課題も含めて、考えていかねばならない。(滝野)

⒍ 各委員会の活動について

今回の決算では、各々の委員会の活動が行われなかったとされている(小濱報告書)。予算は、使わなかったら削られる可能性がある。

日臨心の活動を広く知ってもらうためにも、小委員活動は重要である。地方委員会が機能的に運営されれば、本学会の知名度を地道に拡げることが可能なはずである。機に適ったシンポジウム等を開いていければよいのではないか。たとえば、亀口さんが主催した自閉症の研修会には、一般の人たちを含め50人ぐらい集まった実績がある。(渡邉)

⒎ 会議経費について

会議の方式には、マルチプルなやり方を工夫することがよい。会議のやりかたそのものを工夫する必要がある。それらを積極的に試行して、改善していくことが求められる。(滝野)

議事録の記録にはたいへん手間がかかる。どこの部分を残すかが問われ、或いは逐語録であると記録者が疲弊する。レコーダーから起こした記録を出し、全員が目を通して、公式の議事録となる。これが通常の作業だが、これを見直し、記録の残し方の工夫を今後も考えていく余地があるだろう。(渡邉)

一事不再議について、「蒸し返しは絶対だめ」と定めてしまうことはよくないと個人的には思う。もちろん、無条件にそうせよ、とは言わない。グループで、互いに学び合うことが重要である。(滝野)

⒏ 19期ML公開・非公開問題

19期のMLの内容に反映している、監査に関わる事業内容について、監事は調査権を持つ。一般論としては、監事が全ての事象・事案について、調査権を持つことは了解している。しかし、19期の問題については、申請のある問題についてのみ監査する。理由は、MLリストの利用に精通していなかったメンバーがあったと考えられるからだ。公務としての学会運営と私的感情等が未分化なかたちで吐露されていた場合がある。したがって、昨年度のML公開に関しては、一般論では片づけられないと考える。(滝野)

⒐ 監事の職域について

暫定とはいえ、監査対象の前年度の運営委員を務めた私(渡邉)が、監査を行っていいものかとの躊躇いがある。2011年の運営委員会議事録(第19期第7回)の確認事項に依ると、「監事は会計監査のみとする。」とある。(渡邉)

どのような経過でそう記載されたかは知りたい。しかし、今日の一般常識からしても、業務監査の必要は、認める。(滝野)

20期の課題として、監査のあり方を検討することも必要である。

以上

2012年7月7日

監事 滝野 功久

監事 渡邉 三知雄

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無反応・無応答の臨床技法

 以下は、2012年8月23日(いまから1年余り前)に20期運営委員会メーリングリストに、前事務局長戸田が書き込んだ内容です。
 ここには、当時、戸田が事務局長として発信した議題についての、運営委員からの無反応・無応答に対して、運営委員としての意識を問う論評を記載しています。
 この事例は、あくまでも当時の内容を問題としているのではなく、メーリングリスト上での意見交換が如何に不全に陥っていたのか、という状況を表す一事例としてお読みいただきたいと思います。

 この戸田からの抗議に対しても、その後やはり、無反応・無応答が続きます。
 そして、その後に次々と生じる懸案事項に取り紛れ、この問いかけもまたうやむやの中で消失していくのでした。

 このような状況が、その後の1年間も変化無く続きました。

このうやむやの中へ、時と共に、希釈し、希薄に消し去っていくこと。
これぞ、セラピー、です!!
なだめ、焦点外し、そらしのテクニックです。
行政が、住民の不満をそらすための、第二階梯です。
(Arnstein, S.R.住民参加のはしご論。ただし、この段階は未だ、Nonparticipation! )
都合の悪いことはこのようにして、なかったこととなるのです。
まことに、「行政」「官僚」的な対応と言わざるを得ません。

以下、2012年8月23日20期運営委員会MLより引用。。。。。。。。。。。
[戸田の発題に対して、ようやく頂いた佐藤委員からの投稿を受けて]

佐藤さま、各位、

 懇切な御意見をありがとうございました。
 このように真摯な姿勢にて、<客観的な立ち位置から、論証を踏まえられて のご発言>は、このたびの佐藤さんが嚆矢であると存じます。

 戸田と致しましては、各位から、このような御意見を待ち望んでおりました。
 しかしながら、佐藤さん御自身も、仰る通り、あまりにも遅くに戴いたと存じます。

 ちなみに、菅野さんからは、以下のお書き込みを戴きましたが、これは、

<菅野さんが自らの努力にて調査可能である可能性のあることについて、知る ための努力をなさろうとはしないことを棚上げにされて、御自分が、いま偶々 御存知・御承知ではないことを、運営委員会の代表意見とはしてはならない>
と言われているように、つまり、たんに<個人的なご感想>をおっしゃっている。

と、受け止めましたので、佐藤さんのご意見を以て「嚆矢」と申しあげました。

 或る運営委員個人の知識が不足している事象については、運営委員会全体の 見解としてはならない、というのでは、運営委員会意見としては、「現在、西暦2012年日本標準時午前5時07分です」のレヴェルしか発言できなくな りそうです。

 さて、このように佐藤さんの御発言を頂いた現時点を起点として、ようやく 本来、求められるべき議論が開始される運びとなりました。
 しかしながら、既に、一昨日に申しあげましたように、御意見は締め切らせ ていただいております。
 以後は、当日の総会議場にて、菅野さん、佐藤さんからの異論のそれぞれの 趣旨を併せて、プロジェクタおよび口頭にて、御報告させて頂きます。

 ところで、話し合い、顔が見える関係が大事という本運営委員会のモットー ですが、機関誌報告において成文化されたものが、(本年度から戸田が直に出 会わざるを得なかった、この組織体の実態に比して、)あまりに品行方正であ り、かつ当たり障りのないものとなること、への<強烈な違和感>を感じた戸 田が、これを度々表明致しましても、<無視・黙殺・見て見ぬふり>を賜り、 「では、これではどうでしょう?」とML申し合わせ案を、各位に提示いたし ました。
 しかしながら、これについても<無視・黙殺・見て見ぬふり>を賜ったわけ です。
 このような経緯が、厳然とあるのです。これを、メタレヴェルで、再度確認 いたしたのが、原文としては、既に、2月の議案書およびMLにて公開されて いる文書に対しての、今回の大部分の方々からの<無視・黙殺・見て見ぬふり >でありました。
 この事実を、事実として総会(といってもこの時程では、参加一般会員の数 は運営委員の数を上回るかどうかも疑問です)で、改めて運営委員の皆さま御 自身に、深く認識いただけることを求めたいと、考える次第です。

佐藤さん記)「こんなこと(ML運用申し合わせ案)まで書いて総会にださな ければ運営委員会の論議がまともになされないのかと思えば、うんざりして 会員をやめたくなる人が続出するのではないかと思います。」

 「会員が多い」ということは、必ずしもよいことでしょうか。
 烏合の衆でも枯れ木も山のにぎわいでも、数を頼むのは、名称が類似している某学会の方向性に同じく、資本主義国家体制党派政治形態においての考え方ではないでしょうか。
 政治家・政党は当の表看板である政治家・政党のリーダーシップやカリスマ 性に酔って、盲目的に全権委任してくれる票田としての衆愚が多ければ多いほ ど有り難いものです。
 昨年の原子力災害の際の政府の対応は、この顕著な例でしょう。
 国民は衆愚と見做され、その場しのぎの情報統制・操作が行われたのです。

 執行部内情を報告することを姑息に情報統制しても、情報統制を行使するこ との背景となった姿勢そのものが、蚊帳の外に置かれた人々に、不審感を抱か せる結果となるのです。

 長年に渡って運営委員の任にあられた皆さまは、運営委員としての見地か ら、この学会の総体をご覧になられる固定観念、言わば<癖>がおありかと存 じます。それを自覚なさることは、なかなかに困難であると伺えます。ですの で、昨年まで部外者であった、戸田からたびたび、部外者の<違和感>を表明 いたしてまいりました。しかし、部外者ではなくなっている筈の現在もいまだ <無視・黙殺・見て見ぬふり>を蒙っておりますことは、MLの記録を顧みる ならば、明かではないでしょうか。ですので、みなさまが、何かを仰っていた だくためには、ラディカルな発言を恣意的に選択することとなります。
 しかしながら、この組織体が、苟も、「学会」「学術研究団体」であるにも 関わらず、その場限りの「感想」を「意見」と称して、厚顔にも豪語なさる 方々が、歴任の執行役員の中にいらっしゃることに、まずは呆れさせられた次 第です。そのような言動を齎す姿勢そのものが、少なからぬ年会費を支出して 信を託してくださっている、一般会員への蔑みを意識下に潜ませた(ただし、 宮脇運営副委員長のみは、既に、文書に於て、堂々と明言なさっておりましたが)行為では ないでしょうか。

 つまり看板に偽りあり。
 運営委員は、「労働貴族」なのでしょうか?
 既に、ここに、一般会員と運営委員の間の、階級差・格差が、歴然としてあるのです。

 これは、言語化、成文化によって、客観的批判に供せられるものではない、
 隠微な事象であるが故、極めて深刻な問題であるのです。

 このような潜在的(前・無意識的な)「上から目線」は、戸田が2月に運営委員会議案書を提示した時点より、運営委員の皆さまからの反応を待ちつづけ ていたように、ことさらに、言語化して顕示いたすまでもなく、また、する・ される関係を云々するまでもなく、この学会に所属されている対人援助職のみ なさまにとって、皆無ではなかった。
 そうであるからこそ、「上から目線」 という解釈を誘う刺激語に敏感な反応が生じる、というのが、まあ、力動領域での理論的な説明の一つとなるわけです。

 運営委員会というものは、熟慮を経ないただの感想の羅列が「意見」として表明されるものであり、常に、和やかにものごとを荒立てずに、つまりときには誤魔化し誤魔化し合い、「。。。。ということにしておきましょう、いまにほとぼりがさめるまで、相手にせずにほっておけば、相手が自縄自縛で自滅す るのだから」、という対立する見解に対しての戦略体制に、戸田には昨年に一般会員として遭遇し身を以て苦々しい体験として銘記されております。

 このような有り方が、既に深く身体化されておられる向きが、歴任の運営委員の方々のなか(勿論佐藤さんはそうではいらっしゃいません)には少なからず見受けられることが、極めて遺憾に思われる次第です。

 これが、實川さんが指摘されるように、「コミュニケーションのパイプが」未必の故意によってか、意識的にか、「つまらされ」て、よどんだ水がヘドロになって(目には見えないが強烈に身体感覚を侵襲する)悪臭が放たれる腐敗の方程式を導く結果として顕れるのではないでしょうか。

佐藤さん記)「せめてもう一年話し合って、来年の第20期の任期満了時の「運営委員会活動(総括)報告」まで頑張ってみたらどうでしょうか?」

 目下、拙速にことが運ばれているとは、戸田は考えません。
 19期で、實川先生が提起された問題が、既に今期に先送りされてきております。

 これらは、今期から生じた問題ではないのです。

 歴年に渡り溜まりに溜まったヘドロが、3.11という時代の大転換の契機に生じた放射性物質の混入に促され化学反応を生じて、自ずから爆裂噴出しているのであって、ましてや戸田個人の、いわば<「自我」優位を頼む浅慮と感想や自己承認欲求から齎されているものではない>とも考えております。

 もし、戸田が保身に甘んじるならば、敢えて、本状をはじめ、このMLにて、みなさまへの御意見を申しあげることはあり得なかったでしょう。
 いわば、身を捨てて、わたくしが、このように、問題に臨んでいるにも関わらず、戸田が提起してきた議題および問題性の指摘について、たんなる感想や、しっかりと戸田の趣意やまた提起の背景である基本的な事情の把握の努力もなしに、その場限りの御感想をいただく限りで、はかばかしい御意見話し合いそのものには、いまだに至らない、<無視・黙殺・見て見ぬふり>が、依然として継続する。
 これが、この運営委員会の現状そのもの、ではないでしょうか。

 むしろ、昨年度の實川宣告の後どうなったかのだろうと気掛かりにおもわれている一般会員も(少なくとも惰性で会員を続けてはおられない、本学会に期待する方々にとっては、)いらっしゃることでしょう。

 その方々への説明責任こそが、いままさに求められるのではないかと存じます。

                   戸田游晏拝

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