無反応・無応答の臨床技法

 以下は、2012年8月23日(いまから1年余り前)に20期運営委員会メーリングリストに、前事務局長戸田が書き込んだ内容です。
 ここには、当時、戸田が事務局長として発信した議題についての、運営委員からの無反応・無応答に対して、運営委員としての意識を問う論評を記載しています。
 この事例は、あくまでも当時の内容を問題としているのではなく、メーリングリスト上での意見交換が如何に不全に陥っていたのか、という状況を表す一事例としてお読みいただきたいと思います。

 この戸田からの抗議に対しても、その後やはり、無反応・無応答が続きます。
 そして、その後に次々と生じる懸案事項に取り紛れ、この問いかけもまたうやむやの中で消失していくのでした。

 このような状況が、その後の1年間も変化無く続きました。

このうやむやの中へ、時と共に、希釈し、希薄に消し去っていくこと。
これぞ、セラピー、です!!
なだめ、焦点外し、そらしのテクニックです。
行政が、住民の不満をそらすための、第二階梯です。
(Arnstein, S.R.住民参加のはしご論。ただし、この段階は未だ、Nonparticipation! )
都合の悪いことはこのようにして、なかったこととなるのです。
まことに、「行政」「官僚」的な対応と言わざるを得ません。

以下、2012年8月23日20期運営委員会MLより引用。。。。。。。。。。。
[戸田の発題に対して、ようやく頂いた佐藤委員からの投稿を受けて]

佐藤さま、各位、

 懇切な御意見をありがとうございました。
 このように真摯な姿勢にて、<客観的な立ち位置から、論証を踏まえられて のご発言>は、このたびの佐藤さんが嚆矢であると存じます。

 戸田と致しましては、各位から、このような御意見を待ち望んでおりました。
 しかしながら、佐藤さん御自身も、仰る通り、あまりにも遅くに戴いたと存じます。

 ちなみに、菅野さんからは、以下のお書き込みを戴きましたが、これは、

<菅野さんが自らの努力にて調査可能である可能性のあることについて、知る ための努力をなさろうとはしないことを棚上げにされて、御自分が、いま偶々 御存知・御承知ではないことを、運営委員会の代表意見とはしてはならない>
と言われているように、つまり、たんに<個人的なご感想>をおっしゃっている。

と、受け止めましたので、佐藤さんのご意見を以て「嚆矢」と申しあげました。

 或る運営委員個人の知識が不足している事象については、運営委員会全体の 見解としてはならない、というのでは、運営委員会意見としては、「現在、西暦2012年日本標準時午前5時07分です」のレヴェルしか発言できなくな りそうです。

 さて、このように佐藤さんの御発言を頂いた現時点を起点として、ようやく 本来、求められるべき議論が開始される運びとなりました。
 しかしながら、既に、一昨日に申しあげましたように、御意見は締め切らせ ていただいております。
 以後は、当日の総会議場にて、菅野さん、佐藤さんからの異論のそれぞれの 趣旨を併せて、プロジェクタおよび口頭にて、御報告させて頂きます。

 ところで、話し合い、顔が見える関係が大事という本運営委員会のモットー ですが、機関誌報告において成文化されたものが、(本年度から戸田が直に出 会わざるを得なかった、この組織体の実態に比して、)あまりに品行方正であ り、かつ当たり障りのないものとなること、への<強烈な違和感>を感じた戸 田が、これを度々表明致しましても、<無視・黙殺・見て見ぬふり>を賜り、 「では、これではどうでしょう?」とML申し合わせ案を、各位に提示いたし ました。
 しかしながら、これについても<無視・黙殺・見て見ぬふり>を賜ったわけ です。
 このような経緯が、厳然とあるのです。これを、メタレヴェルで、再度確認 いたしたのが、原文としては、既に、2月の議案書およびMLにて公開されて いる文書に対しての、今回の大部分の方々からの<無視・黙殺・見て見ぬふり >でありました。
 この事実を、事実として総会(といってもこの時程では、参加一般会員の数 は運営委員の数を上回るかどうかも疑問です)で、改めて運営委員の皆さま御 自身に、深く認識いただけることを求めたいと、考える次第です。

佐藤さん記)「こんなこと(ML運用申し合わせ案)まで書いて総会にださな ければ運営委員会の論議がまともになされないのかと思えば、うんざりして 会員をやめたくなる人が続出するのではないかと思います。」

 「会員が多い」ということは、必ずしもよいことでしょうか。
 烏合の衆でも枯れ木も山のにぎわいでも、数を頼むのは、名称が類似している某学会の方向性に同じく、資本主義国家体制党派政治形態においての考え方ではないでしょうか。
 政治家・政党は当の表看板である政治家・政党のリーダーシップやカリスマ 性に酔って、盲目的に全権委任してくれる票田としての衆愚が多ければ多いほ ど有り難いものです。
 昨年の原子力災害の際の政府の対応は、この顕著な例でしょう。
 国民は衆愚と見做され、その場しのぎの情報統制・操作が行われたのです。

 執行部内情を報告することを姑息に情報統制しても、情報統制を行使するこ との背景となった姿勢そのものが、蚊帳の外に置かれた人々に、不審感を抱か せる結果となるのです。

 長年に渡って運営委員の任にあられた皆さまは、運営委員としての見地か ら、この学会の総体をご覧になられる固定観念、言わば<癖>がおありかと存 じます。それを自覚なさることは、なかなかに困難であると伺えます。ですの で、昨年まで部外者であった、戸田からたびたび、部外者の<違和感>を表明 いたしてまいりました。しかし、部外者ではなくなっている筈の現在もいまだ <無視・黙殺・見て見ぬふり>を蒙っておりますことは、MLの記録を顧みる ならば、明かではないでしょうか。ですので、みなさまが、何かを仰っていた だくためには、ラディカルな発言を恣意的に選択することとなります。
 しかしながら、この組織体が、苟も、「学会」「学術研究団体」であるにも 関わらず、その場限りの「感想」を「意見」と称して、厚顔にも豪語なさる 方々が、歴任の執行役員の中にいらっしゃることに、まずは呆れさせられた次 第です。そのような言動を齎す姿勢そのものが、少なからぬ年会費を支出して 信を託してくださっている、一般会員への蔑みを意識下に潜ませた(ただし、 宮脇運営副委員長のみは、既に、文書に於て、堂々と明言なさっておりましたが)行為では ないでしょうか。

 つまり看板に偽りあり。
 運営委員は、「労働貴族」なのでしょうか?
 既に、ここに、一般会員と運営委員の間の、階級差・格差が、歴然としてあるのです。

 これは、言語化、成文化によって、客観的批判に供せられるものではない、
 隠微な事象であるが故、極めて深刻な問題であるのです。

 このような潜在的(前・無意識的な)「上から目線」は、戸田が2月に運営委員会議案書を提示した時点より、運営委員の皆さまからの反応を待ちつづけ ていたように、ことさらに、言語化して顕示いたすまでもなく、また、する・ される関係を云々するまでもなく、この学会に所属されている対人援助職のみ なさまにとって、皆無ではなかった。
 そうであるからこそ、「上から目線」 という解釈を誘う刺激語に敏感な反応が生じる、というのが、まあ、力動領域での理論的な説明の一つとなるわけです。

 運営委員会というものは、熟慮を経ないただの感想の羅列が「意見」として表明されるものであり、常に、和やかにものごとを荒立てずに、つまりときには誤魔化し誤魔化し合い、「。。。。ということにしておきましょう、いまにほとぼりがさめるまで、相手にせずにほっておけば、相手が自縄自縛で自滅す るのだから」、という対立する見解に対しての戦略体制に、戸田には昨年に一般会員として遭遇し身を以て苦々しい体験として銘記されております。

 このような有り方が、既に深く身体化されておられる向きが、歴任の運営委員の方々のなか(勿論佐藤さんはそうではいらっしゃいません)には少なからず見受けられることが、極めて遺憾に思われる次第です。

 これが、實川さんが指摘されるように、「コミュニケーションのパイプが」未必の故意によってか、意識的にか、「つまらされ」て、よどんだ水がヘドロになって(目には見えないが強烈に身体感覚を侵襲する)悪臭が放たれる腐敗の方程式を導く結果として顕れるのではないでしょうか。

佐藤さん記)「せめてもう一年話し合って、来年の第20期の任期満了時の「運営委員会活動(総括)報告」まで頑張ってみたらどうでしょうか?」

 目下、拙速にことが運ばれているとは、戸田は考えません。
 19期で、實川先生が提起された問題が、既に今期に先送りされてきております。

 これらは、今期から生じた問題ではないのです。

 歴年に渡り溜まりに溜まったヘドロが、3.11という時代の大転換の契機に生じた放射性物質の混入に促され化学反応を生じて、自ずから爆裂噴出しているのであって、ましてや戸田個人の、いわば<「自我」優位を頼む浅慮と感想や自己承認欲求から齎されているものではない>とも考えております。

 もし、戸田が保身に甘んじるならば、敢えて、本状をはじめ、このMLにて、みなさまへの御意見を申しあげることはあり得なかったでしょう。
 いわば、身を捨てて、わたくしが、このように、問題に臨んでいるにも関わらず、戸田が提起してきた議題および問題性の指摘について、たんなる感想や、しっかりと戸田の趣意やまた提起の背景である基本的な事情の把握の努力もなしに、その場限りの御感想をいただく限りで、はかばかしい御意見話し合いそのものには、いまだに至らない、<無視・黙殺・見て見ぬふり>が、依然として継続する。
 これが、この運営委員会の現状そのもの、ではないでしょうか。

 むしろ、昨年度の實川宣告の後どうなったかのだろうと気掛かりにおもわれている一般会員も(少なくとも惰性で会員を続けてはおられない、本学会に期待する方々にとっては、)いらっしゃることでしょう。

 その方々への説明責任こそが、いままさに求められるのではないかと存じます。

                   戸田游晏拝

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