父性的善意の陰謀:向精神薬に頼らない在り方を志向することへの「排撃」は如何に演出されたか

日本臨床心理学会第20期運営委員会(2012.1-2013.8)が試みた事業と「改革」をなぜ、「21期」は引き継がず、むしろ、編集権占有による広報紙と機関誌の記事において貶め、さらにこの学会の歴史から葬ったのであろうか。

「21期」を継承した「22期運営委員会(代表亀口公一)」が、「20期」改革派をSLAPP提訴するに至る排斥衝動の動機には、向精神薬に頼る現行の精神科医療に与する国家資格化の問題が深く関与していた。

要するに、改革を目指した人々が〈向精神薬に頼らない支援の在り方〉を表だって打ち出したことが、旧来多選役員の危機感を煽り、対立派の殲滅を目指そうとした一因となったと考えられる。

主に化学合成薬である向精神薬大量処方問題は、有効性の程度に見合わない強い副作用に起因する深刻な薬害をもたらしている。2013年当時、この事実がようやく、社会一般にも知られるようになってきていた。

だが、「薬を第一義的に利用する以外に、対案が有るのか」との問いは、精神医療福祉ユーザーへの支援者、被支援者である当事者に共通する思いである。
Sullivan, H.S.やSearles, H.F.のように傑出した精神科医に依る、文字通り命がけの精神療法が試みられていた時代に戻るわけにもいかない。しかしながら、ネオ反精神医学(日常の心身の不調に診断名を付し、皆一様に「病気」にする風潮を嫌い、心の病は存在しないと言い切ってしまうこと)に流れるのは、過剰な反応であろう。

そこまでの極論に至るまでもなく、対案は既にあるのではないか、それも我々の足下に見いだせるのではないか、と改革を目指した者たちは常に問い続けてきた。

その問いをかたちにしたものが、第47回大阪大会プレセッションと全体会シンポジウム「臨床心理学 宗教 社会 その関係性を探る」であり、機関誌においては50巻1号、酒木保20期運営委員長「巻頭言」、同巻号所収、兵頭晶子論文「民間治療場の日本近代」。藤原桂舟が責任編集した、50巻2号特集、「身体志向心理療法のさまざまなアプローチ」であった。

改革派は第一義的に、日本で、日本の臨床心理実践者が、日本の風土に相応しい臨床心理学の在り方を研究し実践することこそ、1964年創設の歴史を有する本学会の、いま改めて顧みるべき使命ではないのかと問い、その理念の形象化を試みてきた。

この改革派の動きに呼応し本学会に新たな可能性を見い出し、8.10選挙に立候補したのが金田恆孝であった。金田も、8.10選挙の「第21期」役員選任の際、旧来多選役員の根回しに依る学会史上前例のない無記名信任投票において、組織票に敗れた。

この2013年8月10日の「日本臨床心理学会21期役員選挙」は、運営委員会内の「派閥争い」を超えた、日本の臨床心理学の今後の在り方を問うたものであった。

グローバル資本の政治経済支配下の精神医療保健福祉コバンザメとしての生き残りをかけるか、その支配から脱し、各々の臨床の力を恃む独自の道を探るのか。両者の断絶と葛藤は、この選挙の後にも波紋を残した。

両者の狭間を各々のやり方で橋渡ししようと試みた人々が、居なかったわけではない。

だが、両者の間の適正な対話を阻む、目に見えぬ権力が背後で働いた。

その結果、橋渡しを試みた旧来多選役員の人々の間からは、善意で仲介を試みたにも関わらず、造反した「一派」から裏切られたと解し、それにより、自らの側の心身に少なからぬ損傷(PTSD)がもたらされたといった趣旨の主張が発せられた。

このように被害者(という〈強者〉)の立場に自らを置いた人々が、「改革」の波風を立てた「一派」の「排除」を肯定し、排撃に加担することとなった。

「排撃」の動機となるのは、「裏切られた怨み」という情動である。その衝動が高じて、旧来多選役員らによる2015年末の民事賠償請求提訴に至った。裁判の審理の中でさえ、原告は、請求額1000万円の具体的な損害の積算内訳を出さなかった。

この請求額1000万円の価とは、「父権的善意を裏切られた傷つき感」、すなわち正義の被害者であるとの自認する〈強者〉の憤怒の代なのだ。

しかしこの「父権的善意」の被害者を称する人々の中には、他の権益集団に本体を据えながら、この葛藤状況を巧妙に演出し、操作し、利用し、漁父の利を得た者があった。

平成29年10月26日

10月31日の控訴審判決を前に

戸田游晏

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