ご挨拶
代表理事・会長 實川 幹朗
会員の皆様、ならびに学会活動に見守り関わってくださる皆様に、学会長としてご挨拶を申し上げます。本学会は、一般社団法人となりました。これから学会員は、法的には「一般社団法人社員」となります。ここに至る事情と学会の現況、そしてこれからの道筋についてお伝え致します。
平成27年9月4日の定期会員総会は、停滞の目立った近年と異なり、活気ある総会となりました。新たに入会した方々を軸に、学会運営に進んで関わろうとする会員が数多く足を運ばれました。新しい力が、古く疲れた学会を産まれ変わらせようとしていたのです。
ところが、異変が起こります。新たな芽生えを喜ばない少数の古株が、議場をかき乱しはじめたのです。出だしの議長選出から、様ざまな議事妨害が続きました。第21期の運営委員を名乗る人びとと同調者にとって、旧来のやり方を変えるのは「破壊的分派活動」としか映らなかったのでしょう。総会はついに、第一議案の一部を修正可決したのみで時間切れとなりました。第22期新役員の選出もできませんでした。
しかしこのとき、会則により総会を主催する議長団は、引き続きその任にありました。議事のあいだに「臨時総会」開催の提案は出たものの、否決されていました。議長団(金田副議長と議長實川)は閉会を宣せず、辞任せず、解任もされていません。総会の続行が、議場全体の了解となっていたのです。
総会中断のあと、私たち議長団は定期総会の継続を、改めて会員に通知したいと考えました。しかしながら旧21期運営委員たちが、本来なら議長団の管理すべき名簿を不当に占有し、閲覧すら許しません。議長団はやむを得ず、把握できた範囲で定期総会継続の通知を行ないました。(全会員への通知を目指しましたが、一部に漏れがあるのは旧21期役員の妨害によるのです。)
定期会員総会は9月26日に継続し、役員選出を含むすべての議事を終了しました。結果は先にお知らせした通りです。旧来のやり方を続けたい人びとは、参加要請を無視し、議案を説明する義務を打ち捨て、姿を見せませんでした。このため皮肉にも、議事が速やかに進みました。そして、変わることを恐れず前に進む身構えが整いました。
10月5日開催の第一回運営委員会では、私が運営委員長(学会長)に就かせていただくこととなりました。
12月18日には、懸案であった一般社団法人の登録を、9月26日選出の第22期役員を設立時社員として行ない、役職を次の通り決定しました。
設立時理事 金田 恆孝
設立時理事 中川 聡
設立時監事 梅屋 隆
設立時監事 戸田 弘子
設立時代表理事 實川 幹朗
当学会は日本学術会議からの要請を受け、かねてより法人化を検討してきました。第20期の戸田事務局長はくり返し検討を求めたけれど、体制を墨守し、独善の運営を続けたい古くからの委員たちが、呼びかけを黙殺していたのです。法人化の目的は、一言にすれば、学会の足腰固めです。すなわち、本学会が世の中に物申し、働き掛けるための信用の支えです。
本学会には、長い歴史があります。ここに至るまですでに二回、大きな曲がり角を通りました。
昭和四十年代半ばの改革は、心理検査や心理療法について、専門家の都合のみ考えることへの批判から起こりました。「される側」となった「精神障害」当事者の立場を顧みず、「する側」の事情を押し付けたことへの反省です。差別を当然とする世の仕組みを批判できず、むしろそれに乗って地位の確立を目指したと気付き、学問の未熟を認めました。当事者に教えられ、ともどもに考えてこそ、真[まこと]の臨床心理学への道は開けます。このとき確かめあったことは今も生きていますし、これからも導きとせねばなりません。
激しい議論のやり取りで、精神医学をふくむ臨床心理学全体が揺れました。当時の改革派が、学会を主導していた理事たちに厳しく迫りますと、理事たちは辞任し、学会を去りました。またこのとき、大勢の会員も退会しました。「寄らば大樹の蔭」でしょうか。心理学徒の多数、また心理業務従事者の多くにとっても、心理学の真[まこと]を極めるより、世の流れに乗って浮かび上がるほうが大切だったのです。
それから二十年、平成三年には二つ目の曲がり角が訪れました。改革を経た学会は「される側」に立つと唱え続けていました。しかし、「真の臨床心理学」は見えてこなかったのです。裁判支援など社会運動でならある程度の成果を挙げたけれど、会員は減り続けました。かたや、退会した人びとの作った「心理臨床学会」がケタ違いの会員を集め、力を伸ばしていました。本学会は風前の灯と見られ、解散したとの噂さえ流れたのです。
このとき、機を見るに敏な人たちが現われました。「される側」の立場を守るには、心理職の待遇と地位の安定も必要と説いたのです。心理職の国家資格化容認に舵を切れば会員の減少が止まる、とも言い立てました。再び激しい議論の末、総会で国家資格の容認が多数を占めました。あくまで反対の人びとは学会を去り「社会臨床学会」を作りました。そちらの名前には、もはや「心理」が入っていません。心理学に見切りをつける人びとが心理学の中から出てきたのも、故無しとはできません。
さて、それからまた二十年あまりが過ぎました。このあいだ役員の顔ぶれは、全くと言ってよいほど変わりませんでした。その変わらない役員たちが、自分たち役員の選挙も含め、学会活動の一切を取り仕切りました。古株たちの馴れ合いです。一般の会員たちは、「業績作りはよくない」と学術を否定する役員の支配のもと、研究発表も学術論文の投稿もさせてもらえず、ただ「研修」を受け、会費を払うだけの立場に置かれたのです。
学会活動が滞り、目端の聞いた人びとの言葉と裏腹に、会員は相変わらず減り続けました。「される側」に立ち「真の臨床心理学」を求める、とのスローガンは変わっていません。しかし、スローガンでしかなくなったのです。役員たちはいつの間にか、「される側に立つ」とは《自分たちの<いま>していること》に他ならない、と思い始めたのでしょう。新たな知見を求めず、むしろ排除しつつ、わずかな例外を除き、変わり映えのしない企画をくり返していました。
会員を置き去りに進んだ動きの一つ、しかし重大な一つが、心理職の国家資格化でした。本学会の歴史においては極めて重要で、わが国の心理学のあり方と国民の心の健康にも働きを及ぼす事柄です。それが、会員のあいだの議論を経ずに、馴れ合いで進みました。日本精神科病院協会の後押しを受けた全心協(全国保健・医療・福祉心理職能協会)の正・副会長を兼任する役員の独断に任せていたのです。「される側」の当事者は捨て置き、外部団体の利害を代表する役員が、学会を思うままに利用していました。担当者の一人は「会員の意見を顧みる必要はない。不満があるなら自分が運営委員になればよいし、学会をやめる自由もある」と言い放ちました。
専門家の権威と権限を国家権力に頼って打ち立てる「公認心理師」の法制化は、この流れの行き着いた果てなのです。医療に関わるところでは医師の指示を受け、心の医療化も進めます。しかもこれが福祉や教育など、国民生活の全般に広がってゆきます。五十年ちかく前の改革の始まりの原点を、帳消しする企てに他なりません。
学会は、いま三度目の曲がり角に差し掛かったのです。11月23日に不当な手続きで「選出」されたと称する「第22期運営委員長」が、私たち一般社団法人役員に訴訟を仕掛けました。一千万円の損害賠償を求めるけれど、いつどんな損失があったか説明しません。いわゆる「スラップ訴訟」です。訴訟の経費には、会員の納めた学会費を充てるつもりでしょう。すなわち、学会活動のための会員の付託を、大きな問題を隠す煙幕に利用するのです。当事者を蔑ろに利権獲得が優先ですから、学会の歴史を汚す所業です。
しかし、ほんとうに注目すべきは、9月の定期総会で新しい会員が数多く集ったことの方です。学会がもういちど出直す力を得た徴しだからです。古株の役員らが喜ばないのは、まさにこれで、馴れ合いの独りよがりは通らなくなるからです。新しい会員の力が、曲がり角を通り抜ける支えとなるでしょう。
平成28年2月7日の臨時会員総会は、学会の名称を「一般社団法人 」を冠するものへと変更し、任意団体のすべての活動と財産すなわち権利・義務を引き継ぐと決議しました。
ここまでが、一般社団法人に至る歩みです。学会運営を見えやすくし、役員の独善を戒め、会員の声に耳を傾け、世の中を見渡し、関わりを広げてゆくために、法律に則った枠組みがふさわしいと考えます。権威や権益を強めるためでも、収益めあての事業をしたいからでもありません。
では、この曲がり角を抜けて、どう進めばよいのでしょう。まず、改革の原点を決して忘れてはなりません。専門家の力を強めて喜んだり、職種の立場をよくするために活動すべきではありません。
ただし、「される側」ないし「心理・社会的弱者やマイノリティー」の味方さえすればよいのでもない。スローガンが凝り固まり、形ばかりに終わりやすいのはすでに明らかです。加えて、誰かを「される側」「マイノリティー」などと決めて関われば、枠付けが動かせなくなる。かえって、差別の固定に繋がってしまいます。
しかし、それで都合のよい人もいる - 助けるべきものとして固めればこそ、寄り添う「善人」の仮面が満足をもたらすからです。助けると言いつつ専門家は、むしろ「される側」や「弱者」を頼っています。じっさい、「される側」や「弱者」が居てくれてこそ、公的な補助金が専門家の手に落ちる - 【公認】はこの仕組みを固め、強めるための仕掛けなのです。
「真[まこと]の臨床心理学」に近づきたいなら、学会の実績にあぐらをかくなど以ての外です。古い枠組みでの馴れ合いを乗り越えねばなりません。「する側」「される側」の対立に基づくのでなく、この対立が起こらないよう務めねばならない。そのためには出来合いの「心理学」こそまず捨てるべきです。「心理学」などできる前から暮らしのうちで積もってきた心の知恵には、深みがあります。業界の仕来たりや作法でなく、日々を暮らす所に身を置いて考えましょう。
他の学問分野はもちろん、あらゆる活動と交わり、みづからの足下さえ掘り崩し、そこで苦しみつつ考え直してゆく - 「一般社団法人 」という場は、このためにあります。場で動くのは、会員(社員)の一人一人です。あるいは会員と係わり、これから学会に加わる人びとです。役員が指図したり、「伝統」を押し付けたりではいけません。場に集うすべての人びとが《お互い様》で、生かし合い、支え合うための運営を心がけてゆきます。