菅野聖子(21期事務局長)への公開質問状
戸田 游晏
貴女は、貴女ご自身がそもそも、貴女も認めておられる「誤り」を含む文書を公表したことが、貴女が言われる「多大なエネルギー」と運営委員会の時間を浪費することとなったことをさておいて、「総括」(25年8月10日開催総会資料として会員全員に配布)に綿々と<その後の貴女の個人的見地からみた経緯>を書かれております。
最初に貴女が「誤り」を含む文言の文書を学会誌に掲載し、さらに、まだ「誤り」を含む文言の残る文書を再度学会誌に掲載し直し、その間、實川委員が再度訂正を求めても貴女の理解力の問題かどうか、即ち恣意的か否かは不明ですが、結果的にそれらを無視し、そこで實川委員が「虚偽」と批判することでようやく、貴女が修正に応じていかざるを得ない状況が導かれた、とわたくしは理解しております。19期からの皆さんは如何、見なされているのでしょう。
これも、年下のか弱い子が、ちょっとした失敗で、外から来たいじめっ子に苛められているのを守ってあげる?
或いは「つぶれる虞のある(小濱氏の言)弱き者」を守ってあげるため?
それが、本人のためになるのでしょうか?
いつまでも依頼心ばかり、自らの好き嫌いを正しいことと間違ったことと重ね合わせて主張することから、これでは一向に成長できないではないですか?
そもそも、菅野委員、貴女が本件の起源を発生せしめた。
そして、貴女が「総括」で實川委員や戸田を批判しておられると同じことを、貴女は實川委員になさって来ていた。
K会員の心情は、貴女の過剰な投影的同一視のご能力で慮っても、實川委員が、そのように度々訴えられた心情には一顧だにしない。
つまり、万人に対する公平な評価を、貴女の私情と先入観から、或いは、貴女の内的な利得(自らが「弱き者」を助ける救済者)により曇らせてはいないか。
総じて、本件は、貴女のマッチポンプ式の、つまり自らがヒロインとなる悲劇の起源を自ら作っておいて、多くの迫害と苦難を乗り越えたという、「菅野劇場」ではないですか?
よく顧みてください。
貴女が他者に為したことが、そのまま、本件において貴女自身が被るという経験を為さったという、鏡に映した構図なのです。
貴女が「総括」に書かれた、實川委員とわたくし戸田に対する批判は、そのまま貴女ご自身に映し返ります。
それが、貴女に自覚できているのかそうでないのか、そうでないのは、会員全員に配布する「総括」にこれを堂々と書かれていることで明らかです。
このような自覚を持つことなく運営委員となり、会務に発言権をもたれることは、非常に由々しき事態である、とわたくしは考えます。
所信表明に、これからは内部抗争ではなく対外的に成果を、と誰かが主張してきたことをご自分のご意見の如くに書かれております。
しかし、わたくしが何度も貴女が司られた公開シンポ事前に、中川聡氏(精神医療被害連絡会代表・向精神薬薬害被害者のご家族)へのコンタクトをお勧めしても、メール一本ですむことを一向に進められませんでした。
そして、この13日(平成25年7月13日、兵庫県芦屋市にて、関西委員有志にて開催の向精神薬サバイバーの方々との交流会)、わざわざ遠方(茨城県)からお運びになられたにも関わらず、会場で多く出たサバイバーからの重い批判と問いかけと要望に対して、もしわたくしが発言の時間を設けなかったら、貴女は果たして何を、積極的に、「対峙(貴女はメールではしないが、顔の見える会議ではなさると宣言されています)」してお応えになりましたでしょうか?
苦しみを乗り越えまたそれらにいまもさいなまれつつ絞り出すように訴えてこられる方々からの重い重い言葉の数々。
それに対する貴女は、なにをお応えになられたのでしょうか。貴女から発せられた言葉、貴女自身が、方々からの言葉に籠められた深い思いへの、衷心からのご応答ではなく、「貴女の所属する機関ではそのようなことがないように心がけている」趣旨を陳述されましたね。研修委員長菅野聖子としてでもなく、まして、<菅野さんご自身の生身>がしっかりとその思いを受け止められた上での、衷心からのお考えやお気持ちを表されていたものでは、なかった。
会場でサバイバーのどなたかが、そのような機関があるということで少し安心しましたとの旨の返しをされたのは、「優しさ」です。
菅野委員、貴女は、日頃のお仕事の中で、そのような、いわゆる「される側」からの「優しさ」「赦し」、時には諦めを伴った、それらに支えられて自らの仕事を存立させている。
HPの事例を先に引かれているその筆致から垣間見られるのは、貴女の「おためごかし」言辞を甘んじて諦めて受け止めてあげている子どもたちのけなげさと赦しの力の大きさです。貴女は子どもたちの優しさに寄りかかって、立派なお仕事を果たしてられる、その自覚が貴女の言辞からは感じ取ることが、わたくしには難しいのです。
言葉を換えましょう。子どもたちは、必死に生きている、それだけになまなかな誤魔化しは鋭く見抜く、そして見抜きながらも相手の度量に併せてくれる、つまり支援者が傷つきやすければ傷つけないように対応する(つまり相手にわからないように、分かると相手が酷く傷つくのがわかるから)、非常に怖い存在です。
貴女は、貴女がケアしているつもりの子どもたちにケアされて、いま、ここに生きておられる。
今回の来阪には、他の主なる目的がたとえあられての「ついで」だとしても(そのことはお伺いできませんでしたが)、中川さんにも開会前に短く自己紹介されただけで、その後、懇談を求めることもなかったのではありませんか?同じ関東ですので、今後有益な協力をなさっていかれる端緒を開いていかれるためならば、会の後にお残りになってしかるべきでしょう。
総じて、疑問を感じますのは、貴女が何のためにこの関西の会に来られたのかわたくしには不可解である、ということです。
さてさて、このように申し上げますと、また弾劾するようだ、検察官のようだ、とかと言われるのでしょうね。
しかし、第七回運営委員会関東統合会の議事内容を昨夜(当時の時点)拝見したところ、丁寧に人事に関する議論をするために、選管に時間延長を申し出られたこれを酒木委員長を通しての伝達を要請されたとのこと。貴女は果たして、1年に一度の会則の決定が可能な本来の総会議事をさておいて、運営委員会内部においての意見対立を「総括」の名を借りての<粛正>を図るのですか?
それこそ、貴女方が、一般会員を「外部」と見なして、つまり運営委員会を「内」とする観念の現れではないでしょうか。
貴女方が、旧来の運営委員会を「学会そのもの」と大きな勘違いをされてきたことへの反省が、またこれだけの工数と会員が委托した資産をかけながらも、まだお分かりになってられないことが、ここに露呈しております。
たびたびのわたくしからのそして重ねてのお問いかけに、貴女は、現在進行形で、無視と黙殺を続けておられます。
これは、貴女が総括で貴女が被られたと主張する行為を、貴女ご自身がなさっていることではないですか?
前(20期)事務局長 戸田游晏
平成25年9月9日(平成25年7月18日MLにての意見投稿に注釈を挿入)